女の子おじさんについて

笙野頼子がだいにっほんシリーズにおいて、幼女になりきるおじさんたちを描写していたと思うのだが。

 

逮捕された漫画原作者のことを考えてたら唐突に思い出した。以下本件に着想を得た妄想です。

少女の気持ちになりきって、少女を代弁していた、という説。

だいにっほんシリーズではその代弁はおじさんたちの都合の良い妄想に過ぎず、少女の本来の思考とは似ても似つかない…しかし権力を持ったおじさんたちの幻想に現実の少女たちが従う異様さ…を描いてる場面があった!はず。

 

そう、そんな少女など現実には存在しないのに、おじさんたちの妄想に過ぎないのに、それに憧れてそれに寄せていくという現象は、実際に発生しているのかもしれない。夜凪になりたい、千世子になりたいと思った女子もいるのではないだろうか。誰かが夢見た女子というだけあって、彼女たちは美しく魅力的で、おじさんならずとも心を惹かれてしまう。

そのコミュニティの中だけでお楽しみになればいいわけだが、勘違いしてコミュニティの外の人間にまでその定義を押し付けようとする。いわく少女かくあるべき、と。それが犯罪になる時もあるし、ドン引きされたりすることもある。

 

つまり…可能性として述べたいのは…。

少女たちは嫌がりながらも喜ぶのだろうと勝手に少女の内面を代弁して、ことに及ぶという可能性だ。これって笙野頼子の小説世界の現象だと思ってたけど、でももしかして本当にあるのかもしれないな…。

 

人の内面まで決めつけて押し付けるようになったらおしまいやなー。たしかに、女の憧れる姿を提示するのが男っていう現象には違和感を感じるべきなのかも?でもしかし、女は生身の現実を知ってるから夢のような女を描くのはなんだか白々しい気もするし。男の目から見た美しい女の定義に、踊らされているのだろうか。でも喜んで踊っているのならば、それをがんばって否定するのもなんか変。世の中には風早くんになりたい男もいるんだろうし。どうなんだろうなあ。