絡まれる 2.55

要は甘えた話。

 

ゴミだゴミだと言いながら、本当はゴミだなんて思いたくない。それをブログで呟くのは、誰かに認めてほしいからなのかもしれないし、かといってゴミじゃないよと言われたとしてもその言葉を鵜呑みにすることはないのだから、なんだか不毛だ。

 

自分の気持ちを整理するために書いている。

ノートの殴り書きだとぐちゃぐちゃになるから、なるべくシンプルに書く。

 

世の中の不幸を眺めるのと、自分の目の前のできごとに対処するのは全然違う。ひどい目に遭っている人がたくさんいることを知っているし、みんな苦しんでいるということを見聞きする。

私は幸せな人間だが、不幸なふりをしてしまう、性質の悪い人間だ。贅沢者だ。これ以上の幸せは望めないのに、幸せだと思えない、ある意味それが私の不幸なのだ。

 

だから私は理解しておかなければいけない。本当に辛い人に寄り添えるようなものは何も持っていないのだということを。同じだなんてそんなことがあるわけがないことを。薄っぺらくて、何か言う価値が無いことを。聞くことはできても、理解することはできないことを。だから聞けたことでできることしかできない。理解できるなんて思い上がりが、人を傷つける。人は人を理解することができない。

 

目の前に現れた現象に、常に最善を尽くしたい。

望みを叶えられたなら嬉しい。

力が足りないことも多い。何もできないことも。

思わず自分が望んでしまうこともある。

叶ったら嬉しい。

叶わなかったら悲しい。

生きて動ける間に、他人と自分の望みをなるべくたくさん叶えられたらいいと思う。

それが黙れでも来るなでも、望みは望みだ。

でも言表される望みと本質的な望みが違う時は、どうしたらいいんだろう。その時は分かるだろうか。難しすぎてやっぱり何もできないかも。

そういう夢の話。閑話休題