いじめ考

会社と同じように、学校も楽しい場所ではない。

そこから始めていいと思うのだ。

 

子供たちはとにかく鬱憤がたまっている。

先生の言うことを聞かないと怒られる。

隙がある先生なら言うことなんか聞いてやるものか。でも怖い先生には逆らえないから、ストレスは他の子供に向く。

それだけじゃない。

親が厳しいとか、忙しくて構ってもらえないとか、そういう心の隙間がある子どもも他の子どもを罵倒したり見下したりして溜飲を下げてる。

遊びひとつとってもマウントの取り合いだ。あの子と遊びたい、あの子はいらない。入れてやってもいいけど言うことを聞け。

 

子どもの未熟さを罰するべきではない。

でも未熟さは未熟さとして、大人が一緒に向き合い続けないといけない。

未熟なのは誰のせいだ?それは大人のせいだ。

 

いじめられた子は傷つく。自分に自信も持てなくなる。何年も、大人になっても引きずる。

あの子はいじめられても仕方ないなんて、大人が天地がひっくり返っても言ってはいけない

他の子とぶつかりやすい理由があるなら、それに向き合っていかないとまた傷ついてしまうし。

変な奴から自分を守る方法を教えないといけない。自然に身につける子もいるけど、何にも言えない子もいるし。

守っても刺してくるとんでも野郎はいるんだけど。

それはそっちの問題で、それで人を傷つけていいわけじゃもちろんない。

何度でも何度でも間違えるから、一緒に謝って、一緒に考えるしかない。

やられた子もそのお家も当然黙ってはいない。

でも一朝一夕ではどうにもならない。ある日ふと変わっている、そんなものだ。

ひたすら黙々と丁寧に彼らの人間関係を解きほぐしてつなぎ直して、ちょっとずつ変えていく。

 

いじめ問題は、いじめる方といじめられる方の人間としてのぶつかり合いだ。

ぶつけられる方はたまったものじゃないから、怒っていいし泣いてもいい。そいつには伝わらないかもしれないけど、それからこいつどうしてくれようかと考えていけばいい。

話の通じないヤベー奴が来てしまった。宇宙人襲来くらいに思っておけばいい。あいつもこいつも宇宙人だったかーと諦めてみたりする。同じ言葉を使っていても、重みも意味も違う別の言語だと思った方がいい。

無視して、証拠集めて、しかるべき場所に突き出すのは被害者の権利だ。そこまでさせるほど相手がむちゃくちゃならそれも良い。訴える先の大人は色々いるから、一人だめでも諦めないで。

ちょっとでも相手に酌むべき事情を見出せるのであれば、それはそれで許すと言うのもひとつだ。

自分を守れるならどんな方法を使ったっていい。やられたもん勝ちだ。叩いてもホコリが出ないなら最強だ。自分を安売りせず、相手と同じ土俵なんかに上がらず、あとから後悔しないように、自分なりの完全勝利を目指していけばいい。

大事なことを言う、「やられてても、やってる奴を見下せる」。憐むこともできる。下らない、しょーもないと鼻で笑ってやることもできる。相手より自分が下だなんて絶対思うな。いかに口が達者だろうが力が強かろうが、所詮人にあたる程度の理性しか持ち合わせてない生き物、3階くらい上から見下ろしてしまえ。人を傷つけてない君の方が絶対立派なんだから。相手の未熟さを笑ってもいい、哀れんでもいい。それに付き合うのは大人の仕事だから。