これは宛名のない私信です

極々私的な10月問題(笑)に向き合ってきた。

4ヶ月が経過しようとしている。

この問題はあまりに多くの投げかけがあり、頭の整理もなかなかつかないけど、おぼろげに回答が生成されつつあるような気もする。

 

①私はなぜフラれたのか

②オタクは恥ずかしいマイナーな趣味か。否…!

③好きとか愛とかという曖昧なもの

 

上記3点について、だらだらとまとめていく。

 

①についての推論。

・私個人の品質の悪さ

・氏の恋愛及び結婚観(強固そうな独身主義)

・氏の自尊心の低さ

原因を求めるならこの辺りの複合と言えるだろう。実はどれかひとつかもしれないし、お前が嫌いだ!という話だけかもしれないが、読解できる範疇で考えられるのはこんなところ。これ以上広げも狭めもしない。私の品質は私の問題だが、下2つについては氏の脳内にしか正解がないものなので知る機会があれば僥倖といったところ。

この時の氏の独身主義論についてはおもしろく拝聴した。なんとなく結婚はするかできないかだ。と思っていたので、「親が人質に取られない限り結婚しない」という断言は新鮮だった。若いからね、断言してもひっくり返ることもあると思うけど。私がその相手じゃなかったというだけの話でな。

でも結婚しないという選択肢を明確に示されたのは大きかった。そういう可能性を模索したくなってしまった。考えもせずに捨てるには惜しい選択肢だと思った。自由で寂しいけど短い永遠を踊っていられる選択…一考の価値があるのだ。いいこと聞いた。

ひとりで生きてくことも考えてみた。親が老いたら介護して、やりがいのある仕事があって、好きなものがあって、そういう人生のために尽力するのは悪くない。しばらくはそんな方向性で…。

 

ちなみにこの会談の際、氏は友達のままでいいじゃないと言った。私には男友達がいない。皆無、ゼロだ。友達としての距離感を再検討、再構築していく4ヶ月間でもあった。その間に「絡まれる」問題が勃発しそして終わり、私は丁寧語には丁寧語で返し、すべての同僚を等しく尊ぶ態度を取ることにした。丁寧語の世界は悪くない。相手への敬意を示すに容易で、自然と柔らかい言動を取れる。丁寧語とタメ口のやりとりがいかに歪なものであったか、自分の認識を歪めていた可能性に改めて思いを馳せた。つまり氏とのやりとりについても唐突に丁寧語になったわけだが、なんとも思っていないのだろうか、言及はなく、氏の心中は計りかねる。興味がない可能性も大いにあるし、まあ計りかねる。

 

②、これは私の話だ。

会談後に氏から「恥ずかしいマイナーな趣味を共有できる友達」という表現の入った投げかけを受けて、違和感があった。

それでさっきまとまった。恥ずかしいのは趣味じゃなく私なのです、と。

すごい好きな作品、美しい作品がたくさんある。私はそれが大好きで、でもそれを好きだと人に言ったら、何も知らない他人は「しょーもない私」が紹介した「しょーもないもん」という先入観を持って私がすごく素晴らしいと思っている作品に触れてしまうわけで、それが耐えられない。いや私はしょーもなくても作品はすごいから。私のせいで一緒くたにされて馬鹿にされるのは許しがたいから。

そういう人がいるということを知っているから、大事なものは隠しておく。人でも物でも。自分が馬鹿にされるのは、馬鹿にされる振る舞いをした自分のせいだと思えるけど、好きなものにはなんの罪もないし、万が一そいつに触れられたら汚れてしまうから絶対に嫌だ。隠しておく。とそんな気持ちなのです。

だからそれを共有する友達っていうのは特別なんだとその時に言えれば良かった。

 

③、これは結論しようもない途方もない話。

言っておくけど私はヴァイオレットエヴァーガーデンに浮かされて告白したわけではない。その日ヴァイオレットエヴァーガーデンを観たのは確かだし、もうむちゃくちゃいい映画だった。

でもそれとこれとは話が別で、映画の登場人物に何かを投影できるほど夢を見ているわけではない。いやでも氏には映画見た日に悪いことをしたとは思っている。これは本当に。詫びねばと蒸し返さぬの間で揺れてる、未だに。

氏は人の感情を推測して、君の好きは勘違いだと言った。でも私の気持ちは私のもので、決めつけられては困る色々な想いがある。だから私はこれまでの経緯もあり、氏を自尊心の低い人かもしれないと思った。もしくは、私が嫌で仕方ないけど振ったことにはしたくなかったんだという推測もまあできる。どっちもかもしれない。

ただし恋とか愛とかよく分からない。友達も家族もみんな大事。友達と恋人の違いも分からないというか、区別する必要性を感じていなかった。それは違うと言われたから考えてみてるけど、結局誰も知らないんじゃないだろうか。

愛情はオーダーメイドで世界にひとつだと思う。

氏の好きだというキーの作家の麻枝准の新作を見返したりしつつ、やっぱり分からなくて。ねえ、「神様になった日」ってまさしくいろんな情がごちゃまぜになった極めて難解で自然な作品だと思う。

 

さて思考に終わりは無いが、あの日のぐちゃぐちゃした脳内をちょっとは言語化してみた。

氏が私をどう思っているのか知らない。嫌いだとしても一向におかしくない。私は氏が好きだけれど、恋人とか夫婦とかそういうのは結局訳が分からなくなって爆発しそうだ。ちなみに某日私が爆発したのは、仕事と社会福祉主事と人間関係でパンクしたからで、詰め込みすぎると人間は余裕がなくなるんだなと実感した。人ひとりが背負えるものは少ないのだ。

 

終わったようで終わっていないようである意味確実に終わった関係の先を歩く。期待せず期待されない世界で、氏についてもう少し知れたらいいと思う。なにせ知らないことばかりだ。