お迎えの話。(死生観について最近思うこと)

我が家で名言を言うと話題のお医者さんが、祖父に先日「お迎えは必ず来るからね…」と言ったそうだ。

「お迎え」っていうのは年齢や立場によって受け止め方が全然違う言葉だと思ってるんだけど、直接的な表現じゃなくて好きだなとも思う。誰がお迎えに来てくれるんだろうなとか想像してみたりする。人はそれに時に恐怖したり不安になったりするけど、お迎えって思ったらちょっと安心するかもしれない。

 

幼くして亡くなる人、病気や事故で亡くなる人、遺される人。

誰にでも訪れるものでありながら、永遠のお別れでもあり、その意味は重い。

生まれたらいつか死ぬけど、だいたいの人はそれは今じゃないって思いながら生きてるかもしれない。突然喪われるとか、あんまり考えたくもない。考えただけで身がすくんでしまいそうだ。それじゃあ生きていけないから、人は存外鈍感に造られていると信じる。

 

どうしようもない理不尽が、誰かの命を奪っていったとき、人は色んなことを考える。

どうしてこの人だったんだろうとか。

私はなぜ生かされているんだろうとか。

そうなった原因を見つめてみて途方もない理不尽の循環に気づいたりとか。

そんなものを前にして何もできない自分とか。

 

時々考える。神様がいるとしたら、それは不幸とか幸福を司ってるわけじゃなくて、多分生と死のバランスをとっているだけなんだと。

人は生きているうちに幸せになりたくて努力するけど、もし例えば輪廻とか極楽があるとしたら、現世が安息の地にならないようにしてるんじゃないだろうか。

だって生きてるうちはたくさん求められる。生きるためにしないといけないことが、こんな普通の人間にさえたくさんある。仕事して生活して、時々誰かを怒らせたり傷つけたりして、ちょっと休んでまた繰り返されていく。どうやら私たちは幸せになるためにこの世界を生きているんじゃない。何かの歯車を回す労役を課せられているらしい。

皮肉なことだけど、そう思うことでほんの些細なことが幸せに思える。こんな世界でこんな素敵なことが起こるのかなんて思ったりできる。何が起きても所詮はお勤めだと諦めることもできる。

 

そうしてその生のお勤めを済ませて、人は極楽に近づいていくのかもしれない。

死後の世界なんて信じられないけど、そうやって考えるだけで理不尽な死も早すぎる死も救われる気がして、だから死後の世界って昔から大事にされてるのかなあと思ったりもして。

世にはばかる憎まれっ子はなかなかお勤めが終わらないのかもしれない。いい人が長生きしないのは早々にお勤めを終えるからかもしれない。

 

現世で人は幸せになれない、そういう風にできている。だから幸せを感じる一瞬が嬉しくて尊いのだろう。