いじめ0件という目標の怖さ

先日、教育職の目標としていじめ0件を掲げている記事を見かけた。怖くない?

 

そもそもいじめとはなんなのか。

いじめられる被害者といじめる加害者がいる。これは分かりやすい。

いじめる加害者が別の場面では被害者になっていたり、プレッシャーを受けていることがままある。

その加害者もまた何かに追い詰められている被害者である。無限ループ。

だからいじめを解決するということは、被害者と加害者にまつわる人々のストレスを取り除いて環境を改善するところまで含まれると思う。

これを0にするというのは、少々無理があるのではないだろうか。

 

いじめは歪みだ。

散々圧が加わったプレートが跳ね返って大地震を起こすように、それは「現象」として起こる。

そしてプレートは叱っても戻らない。いじめっこは叱ってもさらに陰湿にいじめを続行する。

それはいじめをする理由がいじめっこにあるからだ。根深い問題を抱えているのはいじめっこなのだ。いじめの被害者は、理不尽な災害に遭ったようなものなのだ。

家族の性格や環境、友達との関係、勉強のこと、見た目のこと、人間はいろんなことに容易にストレスを感じられるようにできている。ため込んだストレスを放置したら歪んでいく。

そういうものの表出であるところのいじめは、見つけたら早急に丁寧に対処すべきものだけれど、果たして0件にできるものなのだろうか。

 

0件にするということは、ひとつ間違えると噴出を無理に押さえ込むだけに過ぎないのではないか。ちょっと怖い目標だなあと思うものである。