ザムザむざむざ無残に死す

早口言葉みたいなタイトルを思いついてしまった。語呂も良い。イイネ!

 

お得意の思い込み妄想でもって朝から友達のできちゃった婚に衝撃を受けて傷心の(という口実の)ひとり旅に出るところまで妄想をしてたけど、そんな事実は一切なかった。直感は当てにならない。

 

というわけで今日のテーマどん!「いかに生きるか」!おっもーい。でも独り言だからいいんだー。

 

以下中二病的発言を繰り返します

 

世界平和とか世界征服とか昔から好きだ。

でも平和を築くのは物語の主人公とかヒーローみたいな華々しい誉ある存在ではなくて、実は村人ABCたちの弛まぬ努力によってなされているのである。という事実から人は目を背けてヒーローになりたがってみたりしてる気がする。

 

朝挨拶して挨拶が返ってきたら安心するよーに

反対に返ってこなかったらちょっとへこんでナンデダロとぐるぐるしたりしてしまうよーに

日々のちょっとしたやりとりの積み重ねが平和を守っているという感触がある。

 

何もない毎日が退屈とかいう歌があったけど、当時から冗談じゃないと思っていた。あ、でもそういう言説ってやっぱり震災後は減った気がする。

毎日生きるのに必死だ。一言一言に命かけてる。いやさすがに言いすぎだ。

でも毎日おんなじ人と顔を合わせても、すれ違うタイミングとか交わす言葉とか表情とかいっぱい話したり全然話さなかったり遠くに見えたり見えなかったり、そういうので1日の感触って全く違ってくる。

今日は調子悪そうだなとか、機嫌いいなとか、切羽詰まってんなとか発狂寸前だなとか、そうやって他人を定点カメラみたいに見てるのが楽しい。

そういう余裕を無くしたくないっていうのが大元にあって、現状維持に努めている。

 

ちょっと絆創膏を貼る係みたいな、そういう感じがいいと思うんだ。

いてもいなくてもいい感じで、あなたがいないと困るって言われるのもお前なんか消えろって言われるのも存在感ありすぎて好みじゃない。

結局いろいろ考えたけど、空気とか妖怪的なものになりたいのかもしれない。いなくても困らないけど、いるとちょっとだけ空気の質がよくなるような…くらいの存在を目指したい。大それたことを言ってしまった。僭越ながら。

 

グレゴールザムザはだから、とてもかっこいいと思うのだ。(タイトル回収!)

家族のために意地悪な社長のもとできりきりと働いて、ある日突然理不尽にもでっかい虫になり、最後はその死によって家族に清しい解放を与える。

かの有名なカフカの『変身』、悲しいと思う?いや、かっこいいんだよな。生きてる間は憎まれたくないけど、死ぬときはちょっと憎まれてるくらいがいい出来だと思うんだよなあ。

 

憎まれることだってちょっとは必要だ。誰かを嫌ったりすることで保たれるものとか発散できることもあると思う。それで病んじゃったら良くないけど。

誰かを馬鹿にすることで心の安定を図ることは、あまり褒められたことじゃないしはっきり言って迷惑だけど、手段としてはありうる。

そういう弱さに私の隙はよくハマるから、たまに絡まれるんだよな。絡んでも反応が薄いからすぐ飽きられちゃうんだけども。

 

でもやっぱりお前邪魔、要らないっていうのが一番悲しくて、そうなるとそこにはいられないから動揺はする。次の居場所を探すわけだけど、見つかるかは分からないし、また追い出されるかもしれない。それでもそれに怯えていたらどこにも行けないから、見切りをつけたらまた懲りずに次の居場所を探すんだろうけど。

 

だからぶつかる角を丸めるのに躊躇する気はないし、絆創膏スキルは日々磨いていきたい。

うーん、そういう生活の中の微々たる日々の差異を大事にしていきたい気がする。

だからこそヒーローになりたい人に腹を立て、空気になりたくない人に怯え、心の内戦が絶えないみたいなつまらない現象も度々起こるけれども。そのうち主張の違う相手ともぶつからないようになりたいなあ。

と考えてると空気になりたいという意向と主張がぶつかるという現象に矛盾を感じたりもする。言っていることがおかしいんだろうか。自己チェック機能はあまり仕事しない。

 

誰にも気づかれないけどみんな日々世界平和してるんだよという話。