小話

「寿命、ハタチになったら親から聞くよな」

「うん。そうだね。」

「お前何年あった?」

「それ聞くのはマナー違反って言われてるじゃん」

「俺のも言うからさ」

「嫌だよ、なんか長くても短くても微妙な気分になるだろ」

「まあな、ははは」

 

〈寿命〉

 

なんであんな会話を思い出したんだろうか。僕は公園のベンチで座ったまま我に返り、あたりを見渡した。

ここからみてもよく目立つ白い社には、赤ん坊を連れた夫婦がひっきりなしに出入りしている。ああ、こんなところに来たからだ。

『授命樹』

大昔は人間の寿命って死ぬまで分からなかったらしい。なんとまあ、不便なことだ。早死にしてもなんの準備もできないし、長生きしたらお金に困るかもしれない。どうやって生きていたんだろう。

今は子供が生まれたら、授命樹にやってきて親が子どもの寿命を記された球を受け取る。そこには子どもの寿命が書いてあり、何事もなければハタチの誕生日に子ども本人に手渡される。

長く生きるのも短く生きるのもすばらしいと、幼少の頃から僕らは教え込まれる。肝心なのは限られた時をどう生きるかなのだと。そうやって教えられるのに、ここで見ていると崩れ落ちる母親も冷め切った表情の父親も頻繁に見つけることになる。

寿命を知るということは、ひとつ絶望するということなのかもしれない。知らなければ希望もあるけど、分かってしまえば希望もないから。

 

あいつの寿命は、そんな話をした翌日だったらしい。人伝に訃報を聞き、葬式にも出た。

水くさいやつだ。死ぬなら死ぬと言ってくれればまだ生きている間に別れを惜しむこともできたのに。でも固まるだけで何もできなかったかもしれないとも思う。

泣き崩れた女性を抱えて、男性がこちらのベンチに向かってくる。夫婦のためにとベンチを空けて立ち上がると、夫婦がベンチにたどり着く前に煙管をくゆらせたおじさんが座った。

夫婦は不幸せそうだったが、おじさんは幸せそうだった。