あいち2022に思うこと

あいちトリエンナーレの大炎上から2年…名前を変えて、再出発?来年夏に開催予定。

 

森美術館の館長さんが今回の芸術祭のプロデューサーさん。館長変わってから行っていないんだけど、以前行った森美術館はおもしろかった。

 

前回のトリエンナーレ泥仕合もいいところで、ひどい有様になってしまった。最後は政治利用されてるし。

表現の自由

しかし表現の自由を振りかざした作品を見て、傷つく人の気持ちはどうなるの?

芸術の名前を借りた何か別のものを見せられたような思いだった。

 

少なくとも私は、あんな下品な説教を聞きに芸術祭に出かけたわけではない。

美術作品と対話しに行ったつもりだったのに、作品に拒絶されてしまったような気分だ。

難民の人たちが世界にたくさんいて、日本でのほほんと暮らしている人間には想像を絶する辛い思いをして今日を生きている。

たとえばこれがスピーチとかメンタームという形ではなく、日々の暮らしの映像だったりしたら、思考と対話の余地があると思う。

会場に置いてあったのは、傷つき疲れてカメラの向こうの私に淡々と語りかけてくる、人たちの顔。かわいそうだ、辛いんだ、私たちは自分の無知を恥じなければならない、それ以外の感想を抱くことを許さない、視線。

ああでもだから、ああいった作品群の作者は、いつも怖い顔をして怒っているんだ。作者自身が自分を責めているんだろう。なにかしていると、思いたいんだろう。だから私はたぶん正しく作品の思いを受け止めた。

 

私はあんな伝え方は嫌いだから、その展示を見た時それ以上難民のことを考えるのはやめた。そういうことなんだ。あの伝え方では、私には届かないんだ。私はそういうの嫌い、それでお終い。

 

相変わらず生真面目そうな芸術祭の主幹メンバーの顔ぶれ。たぶん今度の芸術祭も、私とは相容れないのかもしれない。私のような観客は求められてないのかもしれない。

どこまでが津田大介の影響で、どこまでがもともとのあいちトリエンナーレの持ち味なのか、見極めが難しい。虹のキャラバンサライも揺れる大地も、わりあいシリアスなテーマを取り扱っていた作品が多かった覚えがある。それでもこんなに罪の意識に打ちのめされることはなかったし、心が動かされる作品もたくさんあった。

 

表現の自由と声高に叫びながら、他の意見をヘイトだ差別だ弾劾だと一切認めようとしない振る舞いは、筋が通っているとは思えない。

これが津田大介の作った芸術祭だったのなら、次はまた違うかもしれない。

 

だからあいち2022は、コロナが収まってたら絶対観に行く。愛知の芸術祭が何をしたいのか、ちゃんと観に行く。

やっぱり肌に合わなかったら、別の芸術祭に行けばいい。分からないから失格、ということは無いんだと思いたい。