カフカの『城』は、さみしい。

カフカ『変身』に続き2冊目。買ったの半年くらい前だったかな。

半分までは3ヶ月で書き上げたものの、筆が進まなくなって放棄した作品で、死後友人の判断で出版された作品、とのこと。

 

かんたんなあらすじ

測量士としてとある村に呼ばれたKという男は、どうやらお客を歓迎しない村で度重なるいざこざに巻き込まれる。村人は一様に消極的にKに出て行ってもらいたがり、関わりを持ちたがらない。依頼をしてきたはずの城には近づけず、Kから何かしらの連絡をとることもままならない。

城から届いた2通の手紙で村長に会いに行き、村長から渋々、恩着せがましく与えられた仕事は学校の用務員。測量士とは無関係な仕事をあてがわれた。

お役人・クラムが寵愛していた酒場娘・フリーダを連れ出し、二人で学校での一夜を共にするが、翌晩にはフリーダは元の酒場に帰って行ってしまう。

測量士として呼ばれたはずのKは、クラムの秘書から呼び出されてクラムの平穏な生活のためにフリーダにはもう関わるなと遠回しに回りくどく釘を刺され、物語は終幕する。

 

とあらすじを書いてみたけれど、読む人によってクローズアップしたいところは変わるであろう気がするお話。

 

特にバルナバスの家の不幸は、この『城』の世界観そのもののようだ。

バルナバスはクラムからKに宛てた手紙を持ってくる使者を名乗って登場するが、物語の中盤でその背景が明らかになる。

彼の父親はもともと、家業の靴屋のほかに村の消防団のちょっとした役職を担っている信頼の厚い小市民だった。その娘アマーリアが、村の祭典でお役人に見染められ、ひどく不躾な(おそらく性的欲望の押し付け的な)宿への呼び出しの手紙を渡されたところ、憤慨して破り捨て、呼び出しに応じなかった。

その話がすぐ村全体に広まり、靴屋のお客はみんな、修理を依頼していた靴を引き取りに殺到し、父は消防団を解雇され、一家は生活も貧窮し、みすぼらしいボロ屋に引っ越すことになった。

このひどい仕打ちに対して、父親は役人や秘書に許しを乞おうとするが、役所は許すもなにもそんな案件を知らないと言い、3年が経った現在も、弱った父に代わり娘のオルガと息子のバルナバスが手紙を持ってきた使者に対して謝ることならできるだろうかと尚、思案している。バルナバスは結果、正式な手順を踏まずに城にもぐりこみ、使者の役割を得たばかりだった。

 

なんかきな臭い、という理由だけでここの村人は、徹底的に無関心・不干渉を貫く。関わることでどんな不利益を被るか分からないからなんだろう。

そして城や役人もまた、関わっているのかいないのか、判然としない。

誰もが自分の仕えている範囲の平穏な日常を守るために、変化や異分子を嫌って排除する。それも思い込みや妄想を大量に交えながら。

 

誰もが思い込みと妄想で生きていて、会話なんかまるで成り立たない。村長は仕事を与えてやったと鼻の穴を膨らませ、Kはこんなの仕事なものかと憤慨し蔑ろにして、女教師は早く仕事をしろとヒステリーを起こし、フリーダはKの前では小間使いを汚らしいと言いながら最後は手に手を取って逃げ出してしまう。村人はお役人や秘書を勝手に敬い勝手に想像して勝手に忖度する。当の秘書たちは廊下に立っているKが邪魔で仕方がないらしいのに、自分たちは部屋にこもって何もせず、ただけたたましく客室ベルを鳴らすだけ。

この小説全体が、なんだかホラーハウスのような奇怪さに満ちている。次に出てくる登場人物が、何を言い出すのか、どう行動するのか、理屈とか合理性とかでは理解できないようになっていて、場面が変わるたびに身構えてしまう。

 

Kは善良でもなんでもない、少し横柄で傲慢で不真面目さも感じるような主人公だが、まあよくいるタイプ。でも物語を共に歩むには少々不愉快な人物だった。

ただ、Kの不愉快さと同等かそれ以上に、次々に対峙する村人やお役人がどうにもおかしい。遠方から来た旅人への気遣いとか、隣人への親愛とか、異性への情愛とか、家族への愛情とか、そういう温かみが全くない。それぞれが自分の世界で、自分に都合のいいように生きているようなのだ。

『城』という作品の目が離せない不気味さの正体は、これだけ人が出てくるのに、どこにも繋がらない、ということかもしれない。

 

あれ、でもこれって、現実だって同じじゃない?

 

なんてね。

職務上の役割を果たすのは妨げられないにしても、職務外で何かを成し遂げることの難しいこと。どれだけ職務をこなしても、世の中の不平不満の解消には一向に役に立たない無力感。

家族や友達とは罪のないお喋りで無聊を慰めるけど、本質的な寂しさや孤独は、相変わらず当人だけのものだし。

そういう意味では、乾ききった『城』の世界は些か誇張があるにしても、現実のさみしさとどれだけ差異があるだろう。動き回っても疲れ果てても、誰かといても一人でも、どこかさみしい。

多くの物語は、踏み込んだり、思い合ったりして、さみしさから一瞬解放される美しい瞬間を描いている。それを読むことでたまらなく幸せになれるときもある。

カフカはそういう何千時間のうちの一瞬じゃなくて、何千時間をただ描いているのかもしれない。正直でだだ真面目な人なのだろうか。興味は尽きない。

 

全然関係ないけど、ずっと文庫本手に持ってると、なぜだかべたべたしてきて表紙が汚れるという恐怖の現象が稀に発生する…今回久々に発生した…なんなんだろうこれは。

ティッシュにアルコール含ませて拭くといいらしい。