『レンタルなんもしない人のなんもしなかった話』感想

レンタルなんもしない人とは

『一人で入りにくい店、ゲームの人数あわせ、花見の場所とりなど、ただ一人分の人間の存在だけが必要なシーンでご利用ください。

国分寺駅からの交通費と飲食代だけ(かかれば)もらいます。

ごく簡単なうけこたえ以外なんもできかねます。』

との看板をTwitterに掲げている人のことである。

通称レンタルさん。依頼はTwitterのDMから行う。最近は1件につき1万円+交通費・諸経費がかかるようだけど、始めた頃は交通費と諸経費のみだったらしい。

 

レンタルなんもしない人がレンタルされた日々の記録はTwitterで公開されていて、それをまとめたものが本書となる。

 

なんもしない…こういう言葉が好きなので、ついつい購入した1冊。買ってからしばらく積んであったんだけど、昨日になって急にビビッときて一気に読んだ。ちなみに卒論で扱った作品が『なにもしてない』。実は難しい言葉なんだよね、どこまでがなんもしない、なにもしてないなんだろうなーみたいな。周りの目とか、自分の受け止め方とか、生き方とか、色々考えつつ、結局自分で定義していく、そんな言葉かなと思いつつ、もうちょっと掘り下げたいよね。

 

なんもしない人は、呼吸のようにできることしかしないことをもって「なんもしない」と定義している。依頼を受けるも断るも、どこまでがなんもしないなのかも、自分で決めている。

 

その中で依頼する人がいて、レンタルさんは、人に言いづらい打ち明け話を聞いたり、アイドルの布教を受けたり、クリームソーダを飲みに行ったりする。離婚届や修論の提出の見届けもするし、一人では行きにくいお店について行ったりもする。

すごい、なんもしないけど毎日誰かの人生の1場面に、顔の見えるキャストとして登場している。ものすごいおもしろいだろうな、と思う。

 

これは、誰かの人生に影響を与えたいだとか、何かを変えたいだとか、なんとかしてあげたいだとか、そういうある種傲慢というか、上からの気持ちがあったらできない仕事で、本当に人生のひと時をご一緒するみたいな平静な心持ちで仕事してるんじゃないかなと想像してみる。

 

いいなあと思う。なんだろう、なんかいいな。

この人の基本的にできることしかしないという姿勢が好きなのかもしれない。「なんもしないことができる」という。この人は自分の持つなんもしないという技術・スキルを提供しているだけなんだよ。職人めいてる。

自分を大きく見せず、持てる技術が人のためになってるから、それで食べていけるようになるっていう、とても理想的な形だなと。

 

存外そうやって、ちょうどいい距離感をお金で買うといったニーズは増えているような気もする。

案外友達にも家族にも頼めないことや、他人だから頼めることというのはあって、お金を出したら解決できるときもある。

レンタルさんは依頼の見極め方がうまいのか、そういう依頼人とのさらっとした関係性が成り立っている。ここが実はとても難しいような気がするんだけど、自分の中で線引きがちゃんとしてあって、ぶれないのかな。

 

他人の人生に踏み込むでもなく、変化させるでもなく、ただちょこっと登場して伴走する。いいなあ。

 

自分が売れる技術ってあるのだろうか。

そんなこと考え出すと、就活みたいな気もするけど、働きながら、生活しながら、ずっと天職を探すのもいいんだと思う。

自分と社会との一番いい関係性がそのうち見つかるといいなーと思っている。